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1874年1月23日付けの手紙には、劇詩《ペール・ギュント》に必要な曲をつけて欲しい、という依頼が書かれていました。グリーグはすぐに承諾の返事を送りましたが、この手紙は途中で無くなってしまい、イプセンがグリーグの返事を知ったのは2週間後でした。 結局一年半を費やし、1875年にようやく戯曲《ペール・ギュント op.23》が完成。翌年の1876年2月24日、オスロのクリスチャニア劇場で初演され、大成功をおさめました。グリーグもイプセンも初演には姿を見せませんでしたが、同年11月、グリーグが初めて公演に訪れた時には観客の喝采に応え、上演中2度も舞台に上がらされたほどでした。グリーグとイプセンの名前を世界に知らしめたこの戯曲《ペール・ギュント》は、全5幕26曲から成る大作である。後にグリーグは当時最も人気の高かった曲を抜粋し、4曲ずつにまとめ、1888年に《ペール・ギュント組曲第1集》が、1893年に《ペール・ギュント組曲第2集》が出版されました。この組曲はグリーグ自身により、ピアノ独奏版、ピアノ連弾版、管弦楽版が出版されていますが、第2組曲の初版版は全5曲で出版されています。第5曲目に「山の魔王の娘の踊り」が加えられていましたが、2ヵ月後、グリーグ自身の手でこの曲が外されています。組曲としては「ソルヴェイグの歌」で終わる方が優れている、と判断したからだそうです。 グリーグの代表作として今尚、多くの人々に愛され続けている《ペール・ギュント組曲》。グリーグは、この組曲が出版される以前より戯曲を自身でピアノ独奏版にアレンジし、楽しみとして弾いていました。連弾版は妻ニーナと楽しんでいたようです。ピアノ独奏版は出版後、手軽に有名曲が楽しめるとして、当時多くの人から支持され、受け入れられました。 |
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