シーリューステールは、セーヴェルー本人の言葉によると「原野や森林や、さらさら流れる小川のあるベルゲンの南の土地(松崎巌氏書)」となるらしいが、それはそれは広大な、正に森のような敷地に、石造りの大きな家である。
現在彼の家の半分は博物館になり、グリーグの家「トロルドハウゲン」が管理している。
1940〜45年にかけての第2次世界大戦中、ノルウェーはドイツ・ナチス軍に占領された。セーヴェルーはオスロからの帰途の船の中から、故国ノルウェーの地にドイツ軍の兵舎があるのを見て、ふつふつと湧き上がる怒りを表現した「抵抗のバラード」を作曲する。この作品は萎えた国民の心を鼓舞させ、勇気と希望を与えたとして、「独裁と占領に対する闘いのシンボルの曲」となり全国民中に支持された。(音源に飛べるように)
ノルウェーは長い間連合国家で、束縛は無いものの、自国の特徴を公に出せなかった時代が続いた。1905年に連合が解消され独立を果たすも第2次世界大戦中、再びナチスの占領下に置かれる。こうした歴史の中、第二次世界大戦後やっと自由を得たノルウェーの人々の間には、独自のノルウェー文化、ノルウェー言語を作ろうという動きが高まった。この新しい波は芸術、文化にも及び、ノルウェーの代表的芸術作品《ペール・ギュント》にも波紋が広がった。
2人のノルウェーを代表する芸術家:イプセンとグリーグによる世界的傑作《ペール・ギュント》だが、人間くさいイプセンの劇詩に対しグリーグの音楽はあまりに叙情的ではないか?よりリアリティのある新しい音楽が作れないものか?という事で、セーヴェルーが新しい《ペール・ギュント》の作曲依頼を受けるのである。
セーヴェルーは大変乗り気でイプセンの劇詩を見直し、グリーグとは全く違った観点から《ペール・ギュント》を作曲した。1948年、セーヴェルーの音楽付き《ペール・ギュント》はオスロ劇場で初演され、大成功を収めた。ノルウェー色や、ペールの人間らしさをより強調したセーヴェルーの《ペール・ギュント》は、現在ではグリーグのものよりも人気が高いそうだ。セーヴェルーは戯曲として19曲を書いたが、内12曲をコンサート版としてオーケストラ、ピアノ独奏用にまとめている。
代表作《ペール・ギュント》の他にも、9曲の交響曲、劇音楽、バレエ音楽、協奏曲等、管弦楽を中心とした数多くの大作を遺したセーヴェルーだが、もう一つ彼の作品で忘れてはならないのが、ピアノ小品である。
ピアノ小品は、5つのカプリチオ、ピアノ・ソナタ、ピアノ組曲といった初期の作品を除いて、全て中年以降、シーリューステールに移ってから書かれた。日常の家族との時間、紡ぎだされる何気ない会話や、我が子がヨチヨチと庭を駆け回る様子、生活の中にある自然のメロディや空想の世界・・・夢の様な小さな世界が綴られたピアノ作品には、大作曲家の顔ではなく、生活を楽しむ素のままのセーヴェルーそのものといえよう。 |